NPO法人 船橋障害者自立生活センター フリースペース 2020年7月2日 更新

前途多難

− 第7回障害者政策研究全国集会報告 −
昆 順一

一日目

 12月8日と9日の両日、新宿の日本青年館で開催された、今回で7回目を迎える「障害者政策研究全国集会」に初めて参加した。実はこの集会に参加したいということが前日に船橋市に急いで転入した理由の一つだ。もう一つの理由としては転出先の青森市に積雪が観測される前に荷物を搬出させたかったことがあった。そのために8日はまだ手付かずの荷物の中から出掛けることになった。

 JR信濃町駅で下車後、神宮外苑を抜け、会場に向かったが予想外に到着までの時間を費やしてしまった。その原因は絵画館から交差点を挟み、国立競技場の横を通り、会場の裏手に至る歩道の段差に起因していた。駅から向かって、右側の歩道は手前にはスロープが付いていたので走行したが、その反対側にはスロープが付いておらず、引き返して左側の歩道に渡った。左側には両端にスロープが付いており、交差点を過ぎて同じく左側の歩道は手前にはスロープが付いていたので進んだが、その反対側にはまたスロープが付いておらず、引き返して今度は右側の歩道に渡った。右側には両端にスロープが付いており、ようやく会場の裏手の交差点に到達できた。結局、一往復以上の走行距離を要したと思われる。

 巷で「バリアフリー」が脚光を浴びるようになって、かなり久しいが、まさか新宿のそれも多くの人通りがあるはずの神宮外苑でこのような場面に遭遇するとは夢にも思わなかった。この調子ならば、今世紀中に日本全国の道路がバリアフリー化されるとは到底考えられない。

 会場に着いて最初に感じたことは参加者に占める車椅子の割合の多さだった。さらにはその車椅子の殆どが電動車椅子だった。ある程度は予想はしていたが「経験を積むことができたとしても、すでにこれほど多くの重度肢体不自由者が自立生活支援業務に関与していては果たして自分は箸にも棒にも掛からないのではないか」という一抹の不安が脳裏をよぎった。その反面、視点を変えれば、近くに経験者が多ければ、それだけ多くの情報と知識が得られるということでもある。いずれにしてもこれから遭遇する多くの出会いに期待が大きく膨らんだことも確かだ。

 8日の全体会では障害者差別禁止法の制定に関するシンポジウムが開かれた。その中でシンポジストであるDPI障害者権利擁護センターの金氏は「障害者基本法は権利と差別禁止に関する規定を明記しておらず、加えて各基本的施策に関する規定が「努力規定」の枠内に止まっていることから障害者基本法の改正ではなく、障害者差別禁止法を制定すべきだ」と主張した。今回のシンポジウムに参加するまで国内で「障害者差別禁止法の制定」が議論されていることはおろか、「障害者基本法」の存在さえも全く知らなかった。自分の知識不足を再認識させられる機会ともなった。

 同じくシンポジストである桃山学院大の北野氏は障害者の権利侵害増加の背景として、次の3点を指摘した。まず、自立生活者が増加していることを挙げた。これは従来、施設や親元で暮らす限りは「権利を行使する機会」さえも奪われていた事項が自立生活をすることにより、初めて「権利を行使すること」が可能になることで新たに直面する権利侵害が存在すること。次に支援費制度への移行に伴う事業者の民間参入により、事業者における「利用者の選別」の続発が予測されること。最後に自立生活の進展と呼応して拡大が見込まれる雇用に関する権利侵害。

 北野氏の発言は総じて、実態を的確に把握し、障害当事者の心情に根ざし、かつ具体性に富み、説得力があり、非常に共感を抱かせる内容だった。

 今回のシンポジウムでは直接は言及されなかったが「障害者の権利侵害」の一つとして「欠格条項」がある。欠格条項に関すると思われる過去の経験について二つ、触れたい。

 一つは数年前、実際には受験はしなかったが「社会保険労務士」の国家試験を受験しようと思い、当時の厚生、労働両省に「ワープロによる回答」の認否を照会したところ、「変換機能を有するために漢字表記能力の有無を確認できない」という理由で認められないとの見解が示された。しかし、受験要項には「表音文字しか存在しない」点字による受験が認められていた。このことから漢字表記能力は合格要件ではないと判断し、行政監察局に厚生、労働両省への斡旋を申し入れ、ようやく両省から許可されたということ。

 もう一つは今後、受験を希望している「社会福祉士」の国家試験における全ての受験資格に実務経験もしくは現場実習が義務付けられていること。幸い、地元船橋市役所の特段の配慮により実習受け入れの内諾を得られたが、一般的には重度障害者の実習受け入れは物理的要因から極めて難しいと考えられる。今後、障害者の地域生活支援業務に従事する重度障害当事者が増加するにつれて、同様の重度障害者が増えてくると思われるので受験資格の見直しを強く要望したい。

 両日の往復は全て、JR信濃町駅で乗降した。8日の帰宅時に駅で乗車前に用を足すために「身障者用トイレ」を探したが見当たらないので駅員に聞いたところ、構内にあることが分かった。通常、身障者が誘導を依頼する場合は窓口か改札から駅員が同行する。つまり、信濃町駅では誘導する駅員を待たせながら、用を足さなければいけないことになる。これには何とも落ち着かない感覚にさいなまれてしまった。ちなみにJR船橋駅も構内に「身障者用トイレ」がある。

 その後、地下ホームに下がるために車椅子非対応のエスカレーターを利用した。この際に駅員から電動車椅子を後向きにするように指示された。確かに電動車椅子は電源を切れば、車体が固定される上に後部には駅員が同乗するので安全ではある。しかし、どうしても強い恐怖感を覚えた。

二日目

 分科会は「自立支援分科会」に参加した。シンポジストとしての出席が予定されていたJIL代表の中西氏が体調不良のため欠席された。正直に言えば、中西氏の発言を聞くことが今回参加した最大の理由だったので非常に残念だった。

 代わってシンポジストを務めたHANDS世田谷事務局長の横山氏の発言の中では次の2点が最も興味深かった。それは「訪問介護事業」と「市町村障害者生活支援事業」の委託を受けたことで区との交渉が難しくなったこと。横山氏はこのことを「飴と鞭」と表現されていた。それと各自治体の「社会福祉協議会」は全般に財政面で余裕があるケースが多いので、今後はCILと社協との連携を深めたいこと。しかし、どちらの具体例も質問出来なかったことが心残りとなった。

 午後のシンポジストであったCILさっぽろ代表の佐藤氏は「より良く生きるために装着したはずの人工呼吸器が医療行為の問題で自立生活を開始する際の最大の妨げとなった」と述べた。この発言から一昨年、NHKで放送された報道番組が思い浮かんだ。それは過疎の山村が新規の道路工事を全て中止した代わりに24時間の訪問介護体制を整備した状況を取材した内容だった。その中であくまで自宅での最期を強く願う高齢者の意思を懸命に尊重しようとする主治医の姿勢に深く共鳴した。と同時にそれにもまして、「管理保護」を一方的に主張するホームヘルパーの傲慢さに強い憤りを感じた。佐藤氏の発言とこの番組を通して、「生死」を自己決定できてこそ、真に「自己決定権」が確立したといえるのではないかと思った。

 尊大な表現になるが、「社会福祉基礎構造改革」の進展に伴い、今後数年間は全国のCILにとっても、また自分個人にとっても「前途多難」な時期となることを予想させられた2日間となった。

(02・1・16)
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